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◆撮り電

■キ1ラッセル車


2004.8  ★夕張市・三菱大夕張鉄道保存会・車両保存基地(南大夕張駅跡)

●プラットホームと看板

車両基地は夕張鉄道の廃線になった南大夕張駅跡に「三菱大夕張鉄道保存会」によって管理されています。
















●『キ1ラッセル車』・・ラッセル車というのは雪をかきわけてすすむ機関車のことです。
















●実際に走っていた鉄道にそのままある機関車は、迫力満点です。今にも走り出しそうです。











●中の客車(写真)もきれいに整備されていました。自由に見学できるようになっています。

列車の中のテーブルの上に、自由に感想を書ける日記がありました。読んでみるとこのラッセル車を見るために南は九州から、マニアの人が訪れているようです。

●作家の立松和平さんも去年(2003年)、取材で訪れているようです。その時の取材の記事が客車に展示されていました。(立松和平が歩く 三菱鉱業大夕張鉄道)















●夕張市・鹿島(大夕張)・・三分の二が2009年か、2010年頃ダムに沈む予定だそうです。

夕張市街からさらに山奥へ25キロ・・夕 張市のさらに奥まった鹿島という場所です。地図にもないような場所です。近くのシューパロ湖ダム建設のためこの小さな町の住民はみんなくものこを散らすよ うに道内や日本の各地に散らばりました。この鹿島の町は今だれも住んでいません。最後の400人は5年前に退去したそうです。町中の建物はすべてとり壊さ れ一面雑草におおわれていました。この鹿島の町の三分の二は5年か6年先にダムに沈みます。

◇スキー場跡


















◇大夕張駅前商店街跡

















◇この辺りは数年後、ダムで沈むようです。数年後には貴重な映像になると思います

















◇鹿島橋
















◇廃線のトンネル跡













【北の零年(ぜろねん)】・・・夕張・鹿島地区でロケが2004年2月から行われました

【明治4年北海道に移民した546名の壮大な愛とロマンの感動歴史エンターテイメント作品・2005年上映


明治4年、淡路の稲田家(総勢 137戸546名)が北海道に渡って、不毛の土地を切り拓く物語です。稲田家は江戸時代、徳島藩の洲本城代として淡路を治め、1万4500石の禄高を誇っ た家柄です。維新後に起きた事変により、政府から北海道に移住して開拓するよう命じられます。稲田家の祖先は、戦国時代、秀吉に功績を認められて大名とし て取り立ててくれる時に辞退して、徳島藩の一員になった特別な家柄だそうです。監督はセカチューの行定(ゆきさだ)勲さんです。】

★夕張・鹿島のロケシーン

・明治4年の開拓民の小屋

・アシリカ(豊川悦司)の小屋

・殿の屋敷

・シューパロ湖

・明治10年の開拓出張所

・吉永小百合さんが雪の中を倒れそうに歩くシーン・・

馬に乗った外国人2人(うち1人は酪農の祖、エドウィン)に雪の中で助けられるシーンがあります。。

・雪で2頭の馬が足をとられないように、畳を200畳、雪の上に敷き詰めたそうです。大自然を相手のロケは大変だったそうです。

全体の半分以上は夕張鹿島ロケのシーン。当初は全て、この地で行う予定だったそうです。故人となった夕張市長の中田鉄治さんが、以前から国際映画祭の町、 夕張でロケを行って欲しいと東映側に要請していたそうです。願いが叶って良かったと思います。海のシーンや馬が駆け回るシーンは他の場所で行ったそうで す。



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