春日局(1579〜1643)ゆかり

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★築土(つくど)神社・・春日局が氏子   ★世継稲荷神社

2017.8  東京都千代田区九段北1−14−21

■天慶3年(940)、平将門の霊を武蔵国豊島郡上平川(千代田区大手町一帯)の観音堂に祀り津久戸明神と称したことに始まります。その後、江戸城築城後の文明10年(1478)には、太田道灌が江戸城の乾(北西)、田安台(現、北の丸公園・田安門内)に鎮守として社殿を造営し、田安明神としました。田安明神は、山王・神田明神とともに江戸三社の一つに数えられました。元和2年(1616)に、牛込の筑土山(現在の新宿区筑土八幡町)に遷座し、築土明神となりました。昭和20年(1945)、空襲で社殿を悉(ことごと)く焼失し、昭和29年(1954)には九段中坂の世継神社境内に遷座しました。以前にあった田安明神の近くに遷座したことになります。


■春日局との関わり・・築土神社のHPによると

『1634年
(寛永11年)4月17日に記された『要用雑記』に次のような記述がある。「津久戸は御城内氏神につき、大御台様御繁昌の時分は春日殿御取次ぎを以って御上様方へ御札御守、差上げ候」。

つまり、津久戸(築土神社)は江戸城(北の丸)の氏神(守り神)であったことから、「大御台様」(お江与の方:二代将軍秀忠の正妻)が御繁昌の時には「春日殿」(春日局:三代将軍家光の乳母)を通じて築土神社のお守りを御上様方(将軍の妻子)へ届けたと書かれている。』

・・とあり、春日局は当社の熱心な信奉者であったことがうかがえます。

●所在・・メトロ「九段下」1番出口を出て、右に見える北の丸スクエアビル(内堀通り)の横を通って神社に進むのが近道です・・が案内板が無く、わからなかったので大回りをして鳥居のある通りから参拝しました。















●狛犬は、安永9年(1780)奉納の区内最古のものです。















●千代田区指定有形民俗文化財の力石

若者たちが力試しに用いたとされる













★世継稲荷神社

築土神社の奥に世継稲荷神社があります。倉稲魂神を祭神として、嘉吉元年(1441)頃、田安台(現、北の丸公園・田安門内)に創建された稲荷神社です。当時はこの辺一帯を田安村といったことから、「田安稲荷」と称されていました。二代将軍秀忠が社に参内し「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、これ以降「世継稲荷」と称されるようになったと伝えられています。元禄10年(1697)の大火で被害を受け翌年に再建した頃より、地域町人の守護神になっていました。享保15年(1730)以降、田安家の鎮守神としても崇拝されました(現在、内堀通りを挟んで江戸城・田安門の向かい側に位置する)。また、文久2年(1862)に14代将軍家茂の正妻・和宮が子宝を願って参詣しました。現代も子宝や後継者を願う人々に信仰されています。

























 
              


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