春日局(1579〜1643)ゆかり
★北の丸公園・清水門・・春日局屋敷 東京都千代田区 2017.8
●橋の先にある清水門・高麗門(重文) ●清水門・渡櫓(やぐら)門(重文)
清水門は中世にこの地にあった清水寺にその名を由来するといわれ、江戸時代には江戸城の一画にとりこまれ、北の丸への出入り口として利用されました。この門は、外枡形門という構造で、石垣と水濠で枡形(四角い広場)を造り高麗門と渡櫓門を配していました。
門の創建年代は、慶長12年(1607)に北の丸普請が行われているので、この時期だった可能性もあります。寛永元年(1624)に安芸広島藩主・浅野長晟(あさの
ながあきら)によって修築されました。明暦3年(1657)の大火で焼失したため、翌年の万治元年(1658)に再修築されています。
田安門と共に、昭和36年(1961)6月7日付で国の重要文化財に指定されました。門内の北の丸は、武家地として利用され、中期以降は御三卿のうち、田安家・清水家の屋敷と蔵地に利用されました。明治から昭和戦前までは近衛歩兵連隊の駐屯地となりました。
雁木坂(かりきさか)・・櫓門を左手に曲がると雁木坂(かりきさか)があります。間の空いた階段の形が雁の行列を作って飛ぶ姿に似ているのでこの名前がついたとされています。江戸城の雁木坂は唯一残る貴重な遺構です。
●春日局屋敷跡・・清水門の門内、雁木坂を上がり、広場・階段を経て平らな広場に出ます。この辺りから科学技術館、管理寺務所一帯は、江戸の初期、春日局や千姫(天樹院)・阿茶の局・お勝(英勝院)の方、駿河大納言(徳川忠長・秀忠の次男)の屋敷や、武家屋敷がありました。
科学技術館
ムクゲが咲いていました
★皇居東御苑(大奥跡、井戸跡)・・春日局、大奥総取締役 東京都千代田区
●天守閣跡
●大奥跡・・天守閣跡前の芝生広場
●大奥・井戸跡