春日局ゆかり

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■淀城・・・★春日局の子孫(稲葉氏)ゆかり

京都市伏見区淀本町
 
2010.5

徳川2代将軍秀忠は、元和5年(1619)の伏見城の廃城に伴い、新たに桂川・宇治川・木津川が合流する水陸の要所である淀の地に、松平越中守定綱に築城を命じ、元和9年(1623)に着工、2年後の寛永2年(1625)に竣工した。

この城は秀忠・家光父子上洛の際の宿所となった。寛永10年(1633)、国替えにより永井尚政が城主となっている。その後、松平氏・戸田氏・稲葉氏などの諸大名に入れ替わっている。享保8年(1723)5月、春日局の子孫である稲葉丹後守正和が、下総佐倉(千葉)から淀へ移り、明治維新までの150年近く、この淀城は稲葉氏、十万二千石の居城であった。


●天守台とその周辺

昭和62年夏に天守台の石垣解体修理に伴い、発掘調査が伏見城研究会によって行われ、大小の礎石を含む石蔵が発見された。それは、白亜五層の天守閣の地下室と基礎に相当する。宝暦6年(1756)の雷災で炎上する以前の雄姿を偲ばせるものである。




























城の一部は公園として整備されている

●本丸石垣と堀・・当時は二重三重の堀がめぐらされていた。








●美しい花が咲く堀












★稲葉神社(淀城内)の祭神と淀藩・・春日局の夫を祀る

祭神、稲葉正成公(1571〜1628)は、淀藩稲葉家の祖です。元亀2年(1571)に美濃国(岐阜県)本巣郡の城主、林家に生まれ、長じて稲葉重通の娘婿となり、以後、稲葉を称した。ところが妻の死去により、代わりの妻を迎えることになった。そして迎えられたのが、明智光秀の重臣、斉藤利三の娘「福」(後の春日局)である。福は稲葉重通の養女、稲葉正成の妻となった。


●稲葉氏時代の淀城下

稲葉正成は秀吉に仕え、その命により、小早川秀秋の家老となり500万石を領した。秀吉の没後、慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で家康側につき、合戦の功により家康より感状を受け、後に松平忠昌に仕えた。その後、下野(栃木)真岡の城主となり、2万石を領したが、寛永5年(1628)江戸で没し、上野の現龍院に葬られた。

稲葉家が淀藩主になったのは、初代正成より数えて5代目の正知の時で、享保8年(1723)下総佐倉(千葉)より、十万二千石で入封した。その後明治4年(1871)16代正邦の時に廃藩を迎えるまで、稲葉家12代、148年間に渡り城主を務めた。
















稲葉正成公(春日局の夫)を祀る稲葉神社












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