春日局ゆかり

春日局・目次に戻る
      
 トップページに戻る

妙心寺塔頭・麟祥院(りんしょういん)・・・春日局菩提寺  

京都市右京区花園妙心寺  2009.3

■妙心寺・・臨済宗妙心寺派の総本山。建武4年(1337)、花園法皇が自らの離宮を禅刹に改め、関山慧玄を開山として迎えたのが始まり。その後、足利義満の圧迫や応仁の乱などで一時中断するが、細川勝元の支援を受けて復興。次々と名僧を輩出したため、武士層が帰依し大いに隆盛した。広大な山内には46の塔頭があります。 

●南総門  ●北総門  ●仏殿(手前)と法堂 ●三門
















●明智風呂(浴室) 

●春日局寄進の鐘楼(火災で焼失したが、春日局が塔頭に寄進したもうひとつの鐘がとりつけられている)

入浴時間はこの鐘で知らされたという 

















■麟祥院(りんしょういん)

元々臨済宗妙心寺派ゆかりの春日局・・春日局はお福様と呼ばれていた幼少期、黒井城(兵庫県丹波市)の下館、臨済宗妙心寺派の興禅寺で育ちます。

麟祥院・・大通院の隣に位置し、ふだんは非公開。麟祥院は春日局の戒名に由来する。寛永11年(1634)、徳川三代将軍家光が乳母・春日局の追福を願って碧翁和尚を開祖として、木辻菖蒲(きつじしょうぶ)小路(現在の花園高校)に香華所として建立したのが起こり。幕府より寺領三百石を与えられ、歴代住職は黒衣のまま江戸城白書院の出入りを許された。

枯山水庭園の奥にあるお霊屋は後水尾天皇が春日局に下賜した、仙洞御所の釣殿で春日局の逝去後、小堀遠州によって、春日局木像が安置されお霊屋に改められた。






























トップページに戻る


春日局・目次に戻る

inserted by FC2 system