春日局ゆかり

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春日通りと文化財  東京都文京区  2017.7

■春日通りは豊島区池袋から文京区、台東区、墨田区本所までの国道254号線の道路です。この通りに春日局の菩提寺(文京区・麟祥院)があることから春日通りと呼ばれるようになりました。

★春日通りの文化財

1.小石川大神宮・・ 伊勢の遙宮(とうのみや)・・天照大神を祀る  (文京区小石川2−5−7)

















2.富坂・・坂の左手に中央大学高校、中央大学理工学部があります 

(文京区春日1−13−27)









3.富坂下交差点と、文京区シビックセンター入口(春日1−16−21)












4.文京ふるさと歴史館     文京区本郷4−9−29

文京のあけぼの時代(弥生式土器の展示)、江戸時代の武士・町民の暮らし、明治から近代の暮らし、数多くの文人を輩出した文京など多角的に展示




























5.桜木神社・・菅原道真を祀る。創建は文明年間(1469〜1487)、太田道灌が江戸城内に創建。湯島を経て元禄4年(1691)、この地に移転。(文京区本郷4−3−1)















烏骨鶏(うこっけい)のウッコを飼育しています。烏骨鶏はニワトリの一種ですがニワトリに比べ指の数が多いのが特徴です。















6.富士浅間神社(元富士神社)・・木花咲耶姫命を祀る (文京区本郷7−2−5)

本郷3丁目交差点を御徒町方面に進むと富士浅間神社があります。










かつてこの地は明治5年(1872)から昭和40年(1965)まで本富士町という町名でした。加賀藩本郷邸の跡地にたつ東京大学本郷キャンパスにおいてその名残を今にとどめる赤門を入って右手に椿山(つばきやま)と呼ばれる小丘がありました。江戸時代、椿山は富士山・富士塚などと呼ばれ、富士浅間神社が祀られていました。駒込富士神社(本駒込5−7−20)はこの本郷の富士浅間神社から勧請(かんじょう)したという伝承を有し、そのことが「本富士町」という町名の由来となりました。明治4年、本郷の富士山やその一帯は国に接収され、祀られていた富士浅間神社は旧加賀藩邸の南西一角に屋敷を構えた前田家の敷地内に移転しました。前田家が昭和3年に駒場へ移転したのちは、地元の町会である本富士会の管理下に移されました。地域住民に守られるこの小さな社は、かつて本郷に「富士山」があったことを物語る唯一の場所です。















7.東大・春日門(文京区本郷)

東大には赤門をはじめ、13の門があります。春日門は2007年に既設の門を改修して整備されました。門の両側の煉瓦壁は、明治時代の旧前田侯爵邸の塀遺構である。名称は門が面する春日通に由来する。













8.湯島天神、天神下交差点付近の春日通り(文京区湯島)






















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