春日局ゆかり

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麟祥院(りんしょういん・臨済宗妙心寺派)・・春日局菩提寺、稲葉氏ゆかり  

2017.7 東京都文京区湯島4−1−8

■斉藤福(天正7年・1579〜寛永20年・1643)こと春日局(朝廷から賜った称号)は、明智光秀の家臣・斉藤利三(としみつ・・山崎合戦で処刑される)の娘。お福は稲葉正成と結婚し3人の男子(正勝・正定・正利)をもうけます。

夫の稲葉正成は51万石の小早川秀秋の家老でしたが、慶長7年(1602)10月、主君の小早川秀秋が28才で亡くなると、跡継ぎのいなかった小早川家はとり潰しとなり改易されました。それにともないお福の夫も一介の浪人となりわずかの貯えで細々と暮らしていました。こんな折、 慶長9年(1604)、お福が徳川秀忠・お江与の方(淀度の妹)の間に生まれる家光の乳母として召しだされ三千石を賜りました。お福は離縁し大奥にあがりました。

お福が大奥にあがったおかげで稲葉家一族もぐんぐん潤ってきます。お福は出世のチャンスをフルに活用します。お江与の方の次男でライバルの国松をはねのけて、元和9年(1624)、家光(20才)を三代将軍に押し上げます。次第にお福は大奥初の大年寄として大奥を統括、絶対的な権限を有する大奥の女帝になっていきます。

■麟祥院の歴史・・家光が三代将軍となった寛永元年(1624)、春日局の願により、開山は宇都宮興禅寺の渭川禅師、開基は春日局として、家光の台命で報恩山天澤寺を建立しました。寛永11年(1634)、春日局は生前、渭川禅師より「麟祥院殿仁淵了義尼大姉」の法号を受けられ、その法号をもって、寺を「天澤山麟祥院」と改号しました。


























●本堂入口と、入口にある椿の実























●本堂 扁額には「麟祥禅院」とあります












本堂前には桔梗や松が植えられています












●手水舎  ●鐘楼  ●つくばい












●石仏群












●墓地・・桔梗、モミジアオイが咲いています












■春日局墓所・・「当山開基春日局廟所」とあります















●葵の御紋と、稲葉家の御紋(折敷に三文字)・・この三文字の紋が境内の至る所にあります。春日局がいかに離縁した稲葉家を大事にしていたかがわかります。












●墓石の四方、台石には夫々穴が穿(うが)ってあります。これは「死して後も天下の政道を見守り之を直していかれるよう黄泉から見通せる墓を作って欲しい」という春日局の遺言に、衆議して建立したものと言われています。

春日局の強運と賢徳に、また、墓石に穴が通っていることから「肖(あやか)る」とか「願いが通る」とか、江戸時代より伝わり参詣する人が多くありました。
















●春日局の墓の近くにある、稲葉家の墓、稲葉分家の墓










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