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京都シリーズV

源氏物語(花散里・帚木)

中川の家、候補地(式部邸の近く)

梨木(なしのき)神社内 

上京区寺町通広小路上る染殿町680   

2013.9
      


■創建は明治18年(1885)で、旧別格の官幣社(かんぺいしゃ)。御祭神は明治維新に功績のあった三條実萬(さねつむ)公、実美(さねとみ)公父子。神社は、天皇家に仕える三條家の旧邸がこの梨木町にあったことに因んで名付けられた。    












●本殿

●毎年萩の時期に、俳句の短冊が飾られます























●社務所前























★社務所前の「源氏物語ゆかりの地」案内板

平安京東端の東京極大路に沿って流れていた京極川の二条以北を中川と呼んでいた。付近の蘆山寺(ろざんじ)は紫式部邸跡といわれ、『源氏物語』でも貴族の別荘が多く建ち並ぶあたりと設定されている。

○「花散里」・・右大臣の圧力が強まり、心休まらない光源氏は、花散里に逢いに出かける場面で「中川のほどおはし過ぐるに・・」とあることから、花散里邸はこの辺りと推定される。散里は姉の麗景殿女御と住んでいた。


○「帚木(ははきぎ)」・・
光源氏が方違えで紀伊守(きいのかみ)邸を訪れ、空蝉に出会う場面があるがこの屋敷があった場所も中川である。『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱の母も中川の近くに住んでいた。



























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