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京都シリーズV

八大神社・・宮本武蔵・一乗寺下(さが)り松の決闘地

左京区一乗寺松原町1  2011.10

■永仁2年(1294)に建立。御祭神は素戔嗚尊・稲田姫命・八皇子尊。、方除・厄除・縁むすび・学業の神様として厚く信仰されている。この神社にある下り松(さがりまつ)の古木は、ここから300m西の宮本武蔵と吉岡一門の決闘を見下ろしていたという。













「野望燃える一乗寺さがり松! 眼下の敵七十三人!武蔵、生死一路に起つ!」

東映太秦映画村提供の萬屋錦之介主演・宮本武蔵と吉岡一門の決闘シーン










■八大神社から西300mにある鳥居と「一乗寺下(さが)り松・宮本武蔵決闘の地」

一乗寺・・平安中期から中世にかけ、この辺りに一乗寺という天台宗の寺があった。南北朝の動乱を経て衰退し、廃寺となったが「一乗寺」という地名になって残った。

宮本武蔵(1584〜1645)は江戸時代初期の剣豪、佐々木小次郎との巌流島(山口県下関市)の戦いは有名である。当時の剣豪・塚原卜伝とも剣を交える。二刀流兵法(二天一流兵法)を編み出し、水墨・書画・工芸にも秀でた。













ここは近江から比叡山を経て、京に通じる平安時代からの交通の要衝で、この松は古くから旅人の目印として植え継がれ四代目となる。この地は宮本武蔵と吉岡一門と決闘を行ったという伝説の地。吉岡一門は決闘で敗れた後、廃絶した。

【宮本武蔵悟りの地・・我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず】・・決闘前に武蔵は同神社で神頼みを思い立ったが、神仏に頼る己の弱さに気づき、寸前でやめたという。

















「宮本・吉岡決闘之地」の記念碑は大正10年(1921)、広島呉市の堀正平氏が建立した。右の「大楠公戦陣跡」の碑は1945年に建てられた。建武3(1336)、足利尊氏軍(80万)の大軍に対し、わずか、3000の兵で勝利した楠正成を称える碑。














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