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◆戦国武将の館W

★坂本城址2. ★明智光秀の塚と石像

滋賀県大津市下坂本3・坂本城址公園  2012.8


■坂本城は、元亀2年(1571)9月の山門(延暦寺)焼き討ち後、織田信長に滋賀郡支配を命じられた明智光秀(1528〜82)が比叡山麓の当地に築城した、大天守と小天守を持つ水城。当時、来日していた宣教師ルイスフロイスは、この坂本城を、5年後(1576)に築城された安土城に次いで、豪壮華麗な城であったと評している。

坂本城築城の目的には、山門(延暦寺)の監視の他に、近江の反信長勢力、特に浅井・朝倉郡に対する前線基地や彦根の佐和山城と共に、信長の領国美濃と京都との往路の確保などがあげられます

この城は天正10年(1582)6月本能寺の変が勃発。山崎の合戦の後、羽柴秀吉軍に攻められ焼失しますが、丹羽長秀によって再建されます。天正14年(1586)、大津城に移るまでこの付近にありました。


明智光秀の塚と石像

平成7年、下阪本本学区まちづくり推進協議会により建立される


「われならで 誰かは植えむ 一つ松 心して吹け 志賀の浦風 (光秀)」

明智光秀は、美濃国の名族、土岐氏一族の出身。永禄10年(1567)40歳ごろ織田信長の家臣となる。
元亀2年(1571)山門焼き討ちのあと光秀は、湖岸に豪壮な坂本城を築城し、初代城主となった。以後およそ10年間光秀は坂本城を本拠地として活躍した。
光秀はすぐれた武将であっただけでなく当代一流の文化人と親交をを持ち茶の湯、連歌、詩歌などに造詣の深い文化人でもあった。















































坂本城址公園・・国道161号線と湖岸の間にあります。












公園から琵琶湖が望めます












釣りを楽しむ人がいます。葦が生い茂っています。























三津浜(戸津・志津・今津)と呼ばれる湖岸線
















まるで海のような水平線。波打ち際の湖水の温度は結構高いです。












湖に突き出た「唐崎神社」。先月末にみたらし祭りが行われました。この神社は日吉大社の摂社で、持統天皇の時代に創建されました。女別当神を祀ることから女性の参拝客も多い。












付近の小唐崎神社











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