◆戦国武将の館W
★東福寺塔頭・天得院
豊臣秀吉・秀頼ゆかり・・方広寺鐘事件
京都市東山区本町15丁目 2012.6
■臨済宗東福寺派の寺。南北朝(1346〜1370)の時代に創建される。東福寺の五塔頭として隆盛した。現在の堂宇は天明9年(1789)に再建されたもの。
■秀吉・秀頼ゆかり(写真;東山区・方広寺梵鐘)
慶長19年(1614)、東福寺第二二七世・文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が天得院の住持となった。文英清韓は豊臣秀吉が存命中から、五山の学僧として寵遇されていた。徳川家康は、秀吉の死後江戸幕府が成立してもなお、莫大な豊臣の財力が脅威であった。そこで、家康はその財力を削ぐために、方広寺大仏殿や寺社の修復を命じた。豊臣秀頼の依頼で、文英清韓は方広寺大仏殿の梵鐘に「国家安康(こっかあんこう)」「君臣豊楽(くんしんほうらく)」の鐘銘を撰文した。ところが、この撰文は徳川家を呪うものとして、家康の怒りをかい、天得院は取り壊された。この鐘の銘文は、大坂冬の陣・夏の陣が勃発する引き金となってしまった。
●境内のあじさい ●本堂の入り口
●本堂
●桃山時代に作庭された、枯山水庭園・・桔梗の寺として有名
●瑞々しいスギゴケと、300株の桔梗が美しい
●西庭・・華頭窓から見える、灯籠・岩・つわぶき・桔梗