◆戦国武将の館W
宝筐(ほうきょう)院 右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9−1
足利義詮(よしあきら)・楠木正行(まさつら)菩提所 2011.11
■清涼寺の近くに位置する。平安時代に白河天皇(1053〜1129)により建てられ、善入寺と名付けられた。南北朝時代になり、夢想国師の高弟・黙庵禅師により衰退していた寺が中興された。寺はこれ以降臨済宗の寺となった。室町時代二代将軍足利義詮(よしあきら)は、黙庵に帰依し、伽藍整備に力を入れた。1367年、足利義詮(よしあきら)が38才で没すると、善入寺はその菩提寺となった。八代将軍足利義政の代になり義詮の院号から宝筐院(ほうきょういん)と改められた。
境内は紅葉がすすんでいます
本堂とその周辺
本堂の前庭とその周辺
●足利義詮(よしあきら・・三層石塔)と、楠木正行(まさつら・・五輪塔)の墓
足利義詮は遺言で、敵方で戦死した武将の傍らに葬られることを希望した・・
1348年、河内の国の南朝の武将・楠木正行(まさつら)は北朝軍(足利軍)と対戦し、23才の若さで討ち死にした。黙庵はその首級をこの寺に葬った。足利義詮(よしあきら)は生前、楠木正行(まさつら)の話しを耳にし、その人柄を称え、自分が亡くなったら楠木正行(まさつら)の首塚の傍らに一緒に葬って欲しいと遺言した。