◆戦国武将の館W
★安土城天主・信長の館・・織田信長ゆかり
☆H23年NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」のロケ地
☆本能寺の変の引き金となった饗応膳
滋賀県近江八幡市安土町桑実寺800・安土文芸の郷 2012.6
■天正7年(1579)に織田信長の居城として築かれた安土城の壮大で絢爛豪華な様は、人々の驚きと共に、当時、日本を訪れていたキリスト教宣教師たちによって遠くヨーロッパまで伝えられた。世界初の木造高層建築で、その高さは46mとされた。日本初の天守閣を備えた城である。奇抜で斬新な城には織田信長のポリシーが凝縮されている。
しかし絢爛豪華な城は天正10年(1582)の本能寺の変から約半月後、築城わずか3年で焼失した。焼失してから430年の時が流れる。
◇天主5階・6階・・原寸の大きさで復元
平成4年にスペインセビリア万国博覧会に出展された安土天主の復元を、解体移築したもの。さらに庇屋根、金箔10万枚の外壁、5階の天井、最上部大屋根を増設した。
●天主5階・天界をイメージした黄金の間
仏教の世界観による理想郷を象徴。宇宙空間を表す八角形、30坪の空間。金箔の壁と釈迦説法図の襖絵。床は総朱漆塗り、中央に畳が2枚敷かれています。
●天主6階・最上階・・外壁に金箔10万枚が施されている。鯱(しゃちほこ)も屋根に取り付けられている
狩野永徳による金碧障画を再現
●天正10年(1582)安土御献立(信長の家康饗応膳)復元レプリカ
☆信長と明智光秀の確執をさらに増幅させる原因となった
☆本能寺の変・半月前に徳川家康の接待で出された献立の一部・・豪華さが仇に
織田信長は、武田勝頼・武田氏を滅ぼした功績を称え1582年5月15日から6日間、徳川家康や穴山梅雪を安土城に招き入れ饗応した。この時の饗応係(接待係)が明智光秀。光秀は饗応の献立に工夫をこらし、熱心にその役職に務めたが、それが裏目に出てしまった。
豪華過ぎるその献立は「将軍の御成のようで支度が行き過ぎている」と信長が激怒。5月18日、森蘭丸をはじめとする小姓らに殴打され、翌日は役職を解任。同月22日、備中(岡山)で毛利攻めをしている秀吉の援軍を命じられた。本能寺の直前であったことから、この時の事件が本能寺の変の引き金になったとされている。光秀は日頃の屈辱的な扱いに加え、饗応事件で信長に対する怒りが頂点に達したのだと思う。
写真に掲載していないが、「十五日おちつき膳」は大変豪華である
●信長の半生を描いた約50体の和紙人形展
お市と浅井三姉妹と対面する信長の人形もあります。