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◆戦国武将の館W


方広寺・・・豊臣秀吉ゆかり

2013.8   京都市東山区大和大路通り七条上る茶屋町527−2

■方広寺は文禄4年(1595)、豊臣秀吉によって建立された天台宗の寺です。

●盧舎那仏坐像を本尊とする本堂  ●秀吉の念持仏・大黒天を祀る、大黒天堂















●本堂と鐘楼












●鐘の大きさに圧倒されます























●天井画・・吉祥天女像が描かれています












●京都市指定有形文化財・・方広寺大仏殿遺物九点

本遺物は、豊臣秀吉によって造立され、慶長年間末期に秀頼により再興された方広寺大仏殿および大仏の一部であると考えられたものである。

大仏殿関連・・銅製風鐸、銅製舌各一点、鉄製金輪四点

大仏関連・・銅製蓮肉片、銅製蓮弁、鉄製光背金具各一点・・の計九点からなる。

























★大坂冬の陣・夏の陣のきっかけとなった梵鐘(高さ4.2m)・・豊臣滅亡の引き金となった梵鐘 
「国家安康」「君臣豊楽」の銘文を見た幕府は、「家康を呪い、豊臣の繁栄を祈るもの・・家康に対する豊臣の反逆の意志」とみなしました。これが大坂決戦のきっかけとなり、豊臣は1615年大坂夏の陣で滅びました。
















◆この梵鐘は慶長17年(1612)に、三条釜座の鋳物 師・名越(名護屋)三昌らによって製作されました。ほかの七点の遺物もこの時期に前後して製作されたと考えられています。大仏殿および大仏は、寛政10年 (1798)の落雷により焼失しています。従って本遺物(梵鐘)は豊臣家建立の寺院として、東山に偉容を誇った方広寺大仏殿の在りし日の姿を伝える資料と して貴重なものとなっています。(この梵鐘は昭和43年に重文に指定されました)



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