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◆戦国武将の館W


大徳寺搭頭・高桐院     

京都市北区紫野大徳寺町73−1  

2011.8


利休ゆかりの書院と墓所

細川忠興・ガラシャ夫人墓所



■高桐院は大徳寺塔頭のひとつで、江戸時代初期の武将で、茶人としても有名な細川忠興(三斎・さんさい)が父・幽斉の弟・玉甫紹宗(ぎょくほしょうそう)を開祖として建立した細川家の菩提寺である。細川家の他に、歌舞伎の創始者・出雲阿国の墓もある。

●表門・・入り口の石畳を歩いていくとまるで絵画のような枯れた味わいの表門に出くわす。何とも風情のある門である。












表門内側の苔・石・竹・木々・・が美しい












●自然石の敷石道の参道とその先の唐門。緑の幻想的な、幽玄の空間を進み茶亭門をくぐると受付となる













●書院と書院の庭

細川忠興(三斎・さんさい)は千利休の七人の高弟の一人で、この書院は千利休の邸宅を移築したものといわれている。庭は江戸初期の作庭とされている。























●茶室・松向軒(しょうこうけん)

書院に続く茶室は三斎好みの二畳台目で、三畳の水屋付き、壁や天井にも趣向が凝らされている。寛永5年(1628)に三斎によって建てられた。


●三斎井戸

墓所の為の井戸が墓所の手前にある













細川家歴代之墓入り口・・初代は細川忠興の父である細川幽斉(藤孝)

細川忠興(三斎)と細川ガラシャ夫人の墓

この石燈籠は利休居士が天下一と名付けた愛用の燈籠。豊太閤が名声を聞きつけ、利休に所望したが、利休はその一角を欠き、所望を断った(燈籠の裏側が欠けています)。利休は切腹の折、遺品として三斎にこの燈籠を贈った。













●本堂(方丈)












●本堂は客間があり、客殿とも呼ばれています。格言の分厚い板があります・・「時は人を待たず・・時を大切にして精進せよ・・」












本堂(方丈)前の庭園は楓と灯籠を配置し趣きある風情となっています













赤い毛氈と、建物と、緑色のコラボ












縁取りをしてみました。岩倉実相院・床みどり風。












宝形の釣り灯籠











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