◆戦国武将の館W
勝龍寺城(しょうりゅうじ・じょう)
細川忠興・ガラシャゆかり
2013.9 京都府長岡京市勝龍寺町
★名の由来・・古刹の寺・勝龍寺に由来する
★城の歴史
【南北朝】・・暦応2年(1339)に細川頼春(よりはる)が、京都へ進出してくる南朝方に対抗するため、北朝(足利尊氏)方の前線基地として築かれた。この地は京都盆地の南西部を防御する要所だった。
【室町幕府】・・応仁・文明の乱(1467〜1477)では西岡地方における西軍(畠山義就・よしなり)の拠点となった。
【戦国時代】・・◇永禄11年(1568)に織田信長が上洛し西岡一帯を攻略し、細川藤孝(幽斎)に城が与えられ、元亀2年(1571)に堅固な城に改修された。
◇天正6年(1578)、明智光秀の娘、玉(後のガラシャ)が16才で、細川忠興のもとに輿入れする。
◇天正10年(1582)山崎の合戦では、明智光秀が本拠としたが、落城。
●櫓 ●堀に浮かぶハス、アヒル
●明智光秀公三女玉お輿入れの城
●入口の馬柵
●本丸跡の碑(勝龍)
●櫓(やぐら)・・管理棟(2階が展示室)、入口付近で細川家の家紋・九曜も見受けられる
●管理棟に飾られた細川忠興・お玉の絵
●櫓や庭のある、歴史とロマンあふれる城郭公園は平成4年に整備されました。
●細川忠興・玉像
●ガラシャおもかげの水
●北門跡・・天正10年(1582)山崎の合戦で、明智光秀がこの北門から敗走したとされている
■沼田丸跡・・
本丸の南西に接する沼田丸は東西50m、南北65mの長方形で周囲に土塁が築かれ、外側は堀で囲われていて本丸を守るための施設だった。沼田丸の名は細川藤孝の妻の旧姓に因んだもので、沼田氏に与えた屋敷があった所と伝えられている。