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◆戦国武将の館W

西教寺・・明智光秀公と一族の菩提寺


滋賀県大津市坂本5−13−1     2011.8 

■天台真盛宗総本山・西教寺 (てんだいしんせいしゅうそうほんざん・さいきょうじ)。聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。

●総門・・坂本城から移築された

●「明智光秀公と一族の菩提寺」の案内
















●三浦綾子さんの小説『細川ガラシャ夫人』に西教寺が登場します  ●参道
















●塔頭・・西教寺の護猿(ござる・・守りざる)・・西教寺の法難を救う

1493年、坂本の地で徳政一揆が勃発。比叡山の僧兵たちが、西教寺の真盛上人が関わったのではないかとして、西教寺を襲撃してきました。その時、本堂の鉦をならし続けて急を知らせたのが手が白い猿でした。猿が真盛上人の身代わりとなって鉦を撞いていたのです。その猿は日吉神社の神のおつかえであるとして、僧兵達はその場を撤退したということです。搭頭の屋根瓦には猿が随所に置かれています













●放生池












●勅使門   ●宗祖・真盛上人の木像を安置












●天智6年(667)大津京が開かれ、その2年後の天智8年(669)、天智天皇より西教寺の号を賜った ●十三重塔















●境内の酔芙蓉























●近江商人に因むそろばん小僧















●本坊・書院・客殿・・明智光秀公造築の大本坊

元亀元年(1571)9月、織田信長による比叡山とその一帯の焼き討ち事件が勃発。当寺も全山類焼となる。その後、明智光秀公が坂本城を築城し、坂本一帯の復興や当寺の復興に尽力しました。光秀は大本坊(庫裏・・総けやき造り・重文)を造築。天正2年(1574)、仮本堂を完成し、本尊で重文の阿弥陀如来を安置した。

客殿(重文)は伏見桃山城の旧殿を移築したもので、襖絵は狩野派の絵師により見事である


●袴腰の鐘楼

光秀寄進の梵鐘 






唐破風檜皮葺門の前から琵琶湖が見えます











★盂蘭盆施餓鬼会 

●重文の本堂・・紀州徳川家の寄進による

●本堂前で盂蘭盆施餓鬼会が行われました。お札のお焚きが行われています。僧侶により南無阿弥陀仏の経が唱えられました。僧侶の袈裟が色鮮やかで涼しげです。

























●光秀公辞世の句・・教養と人生哲学

江戸時代の元禄6年(1693)に書かれた「明智軍記」による。山崎合戦で敗れた後、従士の溝尾庄兵衛に託して自刃したと伝えられている。

「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」

★修行の道には順縁と逆縁がある。一見双方違う道のようだが、実はひとつの道につながっている。順境も逆境も、人間の心の源に達する大道である。かくして我が55年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰するものである・・


光秀公の教養と人生哲学がにじみ出ている句です。



●坂本城主・明智日向守光秀とその一族の墓・・日向守は官職名

明智光秀は天正10年(1582)6月13日、本能寺の変の後、山崎の合戦で敗れ、非業の死を遂げた。後にこの寺に葬られた。この寺では、毎年6月14日に光秀忌が営まれています。

●墓の横にある、西教寺二十五菩薩石像 



















●妻・煕子(ひろこ)の墓

●芭蕉の句・・光秀妻・煕子を顕彰する句

「月さびよ 明智が妻の 咄(はな)せむ」・・(寂しい月明かりのもとで明智の妻の話をしよう)

この句は軍旅に敗死した武将への限りない哀悼の念と、その妻への顕彰の思いを込めて作られた芭蕉の句です。元禄2年(1689)、芭蕉が46歳の時、奥の細道の旅を終え、伊勢に参詣した折、貧しい又幻という夫婦のもとに宿をとる。
その時芭蕉は夫婦に「明智の妻の話をしましょう。明智の妻は、夫が貧しい時代、自分の髪を切って売り、持ち回りの宴会の費用にあてたそうだ。あなたたちも、その心がけで必ず良い報いがあることでしょう・・」と語ったという。






●濃州妻木(明智)一族供養塔

山崎合戦の戦乱で、坂本城が落城、多数の犠牲者が出た。妻木城12代城主・藤右衛門廣忠(光秀の妻・煕子の父)とその兄弟3人は、兵士や一族の菩提を弔った後、光秀が亡くなった5日後の6月18日、娘・煕子の墓前で自刃したという。

●この寺の墓所には、戦国武将に仕えた人達の墓もあります・・長谷川左兵衛藤広(家康家臣・大津ソロバンの祖)、富田民部息女、前田菊子(前田利家六女・秀吉の養女)・・





●寺の近くの風景・・さるすべりや青々とした田園風景が広がっていました












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