花の寺・花の名所

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御霊(ごりょう)神社・・あじさい

2016.6  神奈川県鎌倉市坂ノ下4-9(江ノ電・長谷駅徒歩2分)

■御霊とは、強く尊い祖先の御霊(みたま)の意で、神社の創建は、平安時代後期と伝えられています。平安京を開いた桓武天皇の子孫で、鎌倉武士団を率いたとされる鎌倉権五郎景正(ごんごろうかげまさ、1069~?)を祀っています。

景政は、後三年の役(1083~1087)に16才で出陣して勇名を馳せ、その後現在の鎌倉・湘南地域を開発した領主として「権五郎さま」の愛称で親しまれています。














●本殿












●景正 弓立(ゆみたて)の松

鎌倉・湘南地域と平安後期に開拓した領主である、鎌倉権五郎景正公が、ご領地を見廻る際に弓を立てかけたと伝わる松の古木



























●鎌倉江の島七福神・福禄寿を祀る宝庫  ●祖霊社















●右の袂石(たもといし・・16貫・・60kg)、左の手玉石(てだまいし・・28貫・・105kg)

ご祭神景正公が手玉にとり、たもとに入れたと伝えられる。公の人知を超えた霊才を示す重量の石は、神霊を宿す神の依代(よりしろ)と考えられています。
















●金刀比羅杜(こんぴらさま)・・海上安全の守護神・讃岐の金刀比羅宮の分霊を祀る












●石上(いしがみ)神社・・海上安全・豊漁の守護神

昔、御霊神社の前浜にあった巨石に多くの船が座礁し、大勢の命が奪われた。海神の怒りと悟った村人はこれを曳きあげその上部を祀って石上神社と称した。













●庚申搭

庚申信仰は平安時代、中国より伝わり江戸時代に庶民の間に伝わりました。人間の体の中にいる「三尸(さんし)」という虫が庚申の日の夜、人の体を抜け出し、天帝にその人の悪行を告げに行くというもの。坂ノ下にも昭和30年頃まで庚申講があり、庚申の夜、村人は眠らずずっと飲食歓談し夜を明かした。12基の庚申搭は、村の辻々にあったものを近年神社境内に改祀した。その内、三猿が踊る珍しい庚申搭ほか一基が鎌倉市の指定民俗文化財となっている。













●夫婦銀杏















●稲荷神社























●境内や境内裏山のあじさい



























































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