寺社
豪徳寺・・井伊直弼の墓所(井伊家菩提寺)
東京都世田谷区豪徳寺2−24−7 2013.8
■小田急線・豪徳寺駅前のたまにゃん通り商店街・・招き猫発祥の地に由来し、あちらこちらに猫のポスターが貼られています。
■豪徳寺・・2代井伊直孝の法名に因む・・井伊家とのつながり
曹洞宗の寺。開基は世田谷城主・吉良政忠で、文明12年(1480)、伯母・弘徳院のために寺を創建、寺号を弘徳院とした。
【井伊家】
遠江(とおとうみ)の国・井伊谷を中心に勢力を持った武士で、戦国期には今川氏の配下にあった。井伊家24世とされる井伊直政は天正3年(1575)、15才で徳川家康に仕え、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦においては、自ら先鋒を務め、東軍の勝利に貢献した。この戦功で直政は、近江国など18万石を与えられ、初代藩主として彦根藩の礎を築いた。2代直孝も大坂夏の陣で功績をあげ、近江国・下野国・武蔵国世田谷に合わせて30万石を有する譜代大名の筆頭格となった。以後幕末までこの家格は堅持され、歴代藩主は江戸城・留間(たまりのま)に控えて将軍に近侍し、時に大老職に就き幕府政治に参与した。
寛永10年(1633)頃、世田谷が井伊家所領となったのを機に領内の弘徳院が井伊家の菩提寺に取り立てられた。井伊直孝の没後、「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなみ豪徳寺と寺号を改めた。以後、井伊家菩提寺として、江戸で亡くなった藩主や家族がここに葬られた。
●山門 ●鐘楼 ●彦根城博物館のポスター
●総受付とたまにゃん
●参道 ●三重塔
●仏殿
●釈迦如来を本尊に祀る本堂
●赤門 ●六地蔵
●招福殿
【招き猫伝説・・彦根のアイドル、ひこにゃんのルーツ】
2代彦根藩主・井伊直孝が鷹狩の帰りに寺の前を通った際、猫により門内に招き入れられた。お茶の接待を受けたり和尚の法話に聞き入る間、どんどん雲行きが悪くなり激しい雷雨となってしまった。直孝は寺の接待と雷雨から身を守ってくれた猫に感謝したという。
招福観世音菩薩を祀る。
願いを成就した人が招き猫を奉納する。中には、小判をもって左手で手招きする猫や黒猫もいました。
●彦根藩主井伊家墓所(国指定史跡)・・井伊家の菩提寺は、滋賀県「彦根市・清凉寺」、「東近江市・永源寺」にもあります。
★井伊直弼(1815〜1860)墓所・・東京都指定史跡
★10代直幸世子・井伊直富 ★2代井伊直孝 ★9代井伊直是(なおよし)