寺社

トップページに戻る

 寺社目次に戻る

信松院(しんしょういん)・・武田信玄公・六女 松姫ゆかりの寺

2016.12  東京都八王子市台町3−18−28 (JR西八王子駅 徒歩12分)

■曹洞宗の寺院。松姫は永禄4年(1561)、武田信玄公(1521〜1573)の六女として生まれました。永禄10年(1567)、7才の時に織田信長の嫡男・信忠と婚約しまた。松姫は婚約中、信忠と手紙を交わし、一度も会わずに純愛を貫いたとされています。

しかし、元亀3年(1572)、武田・織田両家は不和となって、松姫(11才)の婚約が解消されました。元亀4年(1573)1月、三方ヶ原の戦いがおき、同年・天正元年5月、武田信玄が没すると、さらに織田家との対立が深まっていきました。

そして、天正10年(1582)3月、織田・徳川連合軍が甲州に侵攻し、武田氏滅亡の際、松姫(22才)は、姪たち数人と八王子に逃れ、八王子下恩方の心源院六世随舜悦卜山禅師のもと、出家し尼(信松尼・しんしょうに)となりました。同年6月本能寺の変が勃発し、かつての婚約者であった織田信忠は戦死しました。松姫(信松尼)は家族や家、婚約者を亡くし失意の日々を送ります。

その後、天正18年(1590・・30才)に八王子御所水(現在の台町)に草庵を建て、信松院を開基せられました。地元の子どもたちに読み書き、織物を教え伝えたといわれています。


●築地塀 ●山門















●武田松姫さま東下之像・・22才の頃の旅姿の銅像が山門付近にあります。台座に武田菱があります。















●門にも武田菱












●白砂・岩・松・紅葉の庭












●松姫に因み、いたるところに松があります ●稲荷  ●佛殿・・本尊 釈迦牟尼を祀る












●方丈入口・・上部の武田菱












●茶筅塚 

●四諦(したい)・八正道(はっしょうどう)の手洗い石

この世は苦に満ちた世界でである。この世界に人は生まれ、老い、痛み、死ぬ(四苦)。釈尊は人々を苦界から救わんと、四諦(したい)・八正道(はっしょうどう)の真理を示されました。四諦(したい)とは「苦・集・滅・道」を言います。苦しみは煩悩が集まった結果である。故に煩悩を滅せなければならない。それには正しい道の実践が必要であり、その道とは八正道(はっしょうどう)である。この手洗い石には、四諦(したい)・八正道(はっしょうどう)の字句がきざまれています。














■八王子御所水(台町)観音を祀る、観音堂。上層部の建物は、舎利殿(仏塔)















●信松院御所水観音堂は昭和63年(1988)に建立されました。純白な柱の壁、そして金色の棟かざりは気高い観世音菩薩のお姿を現しています。大屋根の瓦は爽やかな紺碧色で広大な宇宙に無限に広まる仏法の真理を表現しています。そして大屋根上の左右・正面には金龍が配され、お堂を守護しています。












●御本尊の聖観世音菩薩像は信松院御開基松姫尼公御在世の頃より大切に護られ今日に至っています。












●武田菱があります


























●観音堂の下方部の鐘・・「金龍山信松院 観音佛殿 慶祝」とあります ●八王子七福神・布袋尊















■松姫尼公(にこう)の墓(八王子市指定史跡)・・大きな松が目印












●石碑・・開基尼公之墓  

●玉垣・・延享5年(1748)に八王子千人同心により墓を囲む玉垣が寄進されました。





























●ここにも武田菱があります















●松姫は、元和2年(1616)56才で亡くなりました。法名は、「信松院殿月峰永琴大禅定尼 (しんしょういんでんげつほうえいきんだいぜんしょうに)」です

●今年(2016年)の4月、松姫没後400年にあたり、「松姫さま400年祭」が盛大に行われ、3000人が参列しました。祭りには、この寺に安置されている、てい髪姿の木造松姫坐像(八王子市指定有形文化財)も披露されました。地域の人々に長く愛されてきた様子が、2016年12月、NHKEテレ「趣味・姫旅」で紹介されました。















トップページに戻る

寺社目次に戻る

inserted by FC2 system