寺社

トップページに戻る

 寺社目次に戻る

大円寺・・天台宗・比叡山延暦寺派

2016.12  東京都下目黒1−8−5

■大円寺は江戸時代のはじめ、元和年間(1615年〜1623)頃、奥羽・出羽三山(山形県)のひとつ、湯殿山の修験者・大海法印が山を下り、目黒の地に祈願道場を開いたのが始まりとされています。多くの行者が出入りしたことから、大円寺前の坂は行者坂と呼ばれるようになりました。















●520体の、石仏群(東京都指定有形文化財)

天明年間(1780年代)、目黒行人坂の大火で1万7千人以上の犠牲者が出ました。その霊を弔うために石仏が作られました。石仏群の右肩上方にハゼの木があり、紅葉して散っています。



























●とろけ地蔵・・大火の高熱で溶けた地蔵















●本堂・・江戸城裏鬼門を守護する大黒天を祀る。山手七福神のひとつ。大黒天は、商売繁盛、開運出世の御利益があるとされている。





























本堂前左右の、聖観音と薬師如来















●釈迦堂・・本尊の「生身(しょうじん)釈迦如来像」(重文)を安置する

京都嵯峨・清凉寺の釈迦如来を模したもので、清凉寺式と呼ばれる、鎌倉初期に作られた像。ご開帳は12月31日〜1月7日、4月8日花まつり、縁日に限られます。堂宇の前に、仏足石があります。
















●釈迦堂前の七福人















●万両とツワブキ  ●十三重塔















●阿弥陀堂・・阿弥陀三尊像(目黒区指定有形文化財)を安置する















●阿弥陀堂前の、八百屋お七・吉三(きっさ)の碑   ●行人坂敷石造道供養碑・碑文

目黒川の太鼓橋に使用された石材が掲げられています。石には出家姿で橋を造る西雲の様子が彫られています。(八百屋お七の恋人・吉三(きっさ)は、自分を思い火炙りの刑になってしまったお七の菩提を弔うため出家し、名を西雲と改め、江戸市民から寄進された浄財を基に、行人坂を石道にしたり、太鼓橋を石の橋にしました・元禄16・1703年)
















●近くの目黒川に架かる、現在の太鼓橋(左2枚) ●右の写真は、太鼓橋の北に架かる橋















●鐘楼堂・・「西雲上人 八百屋お七菩提発願 参百伍拾年忌 記念」 とあります

●鐘楼横の観世音菩薩
















●庚申搭(こうしんとう)・・天台宗・三諦(さんだい)の教え(空・仮・中)。三猿が彫られています。





























●災難から守ってくれる、身代わり地蔵尊 ●かわいらしい石像














   


トップページに戻る

寺社目次に戻る

inserted by FC2 system