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富士神社・・地元で「お富士さん」と呼ばれる神社

2017.9  東京都文京区本駒込5−7−20

■富士神社はもと、旧本郷村にありました。天正元年(1573)、本郷村名主、木村万右衛門・牛久保隼人の二人が、夢に木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の姿を見て、翌年駿河の富士浅間(せんげん)神社を勧請(かんじょう)しました。寛永6年(1629)加賀藩前田侯が上屋敷(東大構内)を賜るにあたり、その地にあった浅間社はこの地に移転しました。富士浅間社があった東大構内一帯は住居表示改正まで本富士町といわれていました。

社伝では延文年間(1356〜1361)にはすでに現在の社地に富士塚と呼ばれる大きな塚があったとされています。一説には前方後円の古墳ともいわれています。祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)で、氏子を持たず、富士講組織で成り立っていました。

山嶽信仰として、近世中期から江戸市民の間に富士講が多く発生しました。富士講は富士を拝み、富士の霊に帰依し、心願を唱え報恩に感謝する民間の信仰です。旧5月末になると富士講の人々は6月朔日(ついたち)の富士登拝の祈祷をするために当番の家に集まり、祭りを行いました。そして富士の山開きには講の代表人を送り、他の人は江戸の富士に詣でました。富士講の流行と共に、江戸には模型の「お富士さん」が多数できました。文京区内にはこの駒込の「お富士さん」と、護国寺の「音羽の富士」と、白山神社の「白山の富士」があります。

































●拝殿までの階段が、見た目以上に急勾配です。岩に文字が彫られ、着彩されています。















●町火消の信仰が篤く、纏(まとい)の装飾の岩がたくさんあります
























●拝殿前の鳥居  ●拝殿 ●祠










●氏子の総代がいる近くの天祖神社が管理しています ●秋祭り用の神輿 

●駒込ナス・・かつてこの地でなすがたくさん採れました。この辺りに鷹匠がいたことから、初夢には「一富士 二鷹 三茄子」が縁起がいいとする川柳が広まりました。
















               


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