寺社

トップページに戻る

 寺社目次に戻る

花園神社・・新宿の総鎮守  2018.2  東京都新宿区新宿5−17−3

■創建は徳川家康が1590年に武蔵国に入る前とされています。大和国(奈良県)吉野山より勧請されました。












●雪が残る手水舎付近   ●宝物殿 ●神楽殿 












●拝殿 ●末社・雷電稲荷社・・近くに移転















●唐獅子一対(彫刻)・・新宿区指定有形文化財   ●境内社・納大明神・・古お札・古熊手納め












●境内社・・威徳稲荷大明神を祀る。千本鳥居が印象的























お揚げと焼き芋のお供え










江戸・東京の農業 内藤トウガラシとカボチャ(境内の案内板)  

新宿御苑は、江戸時代の高遠藩主内藤家の下屋敷でした。当時武家では屋敷内の畑で、野菜などを栽培し自給する習わしが一般的で、内藤家でも野菜を栽培していましたが、中でも軽くて肥沃な土に適したトウガラシがよくでき、内藤トウガラシと呼ばれて評判となり、新宿付近でさかんにつくられるようになりました。「新編 武蔵風土記稿」(1828)には、「四ツ谷内藤宿及び其辺の村々にて作る、世に内藤蕃椒(とうがらし)と呼べり」とあり、当時は新宿 周辺から大久保にかけての畑は、トウガラシで真っ赤になるほどであったと言われています。トウガラシは保存のできる調味食品ととして、庶民に喜ばれましたが、明治に入ると都市化により栽培も激減し、産地も西の方へ移っていきました。この地域はカボチャの栽培も盛んで、「内藤カボチャ」とか「淀橋カボチャ」とも言われていました。(JA東京グループ)

★内藤氏・・平安時代中期の貴族・豪族の藤原北家秀郷(ひでさと)の流れをくむ。内藤氏は高遠(現在の長野県伊那市高遠町)藩主で、現在の新宿御苑を含む新宿一帯には内藤氏の江戸下屋敷がありました。


トップページに戻る

寺社目次に戻る

inserted by FC2 system