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観蔵院(慈雲山曼荼羅寺観蔵院)・・筆子供養塔

2019.7  東京都練馬区南田中4−15−24


■観蔵院の観蔵とは、「経蔵・律蔵・論蔵」の三蔵を正しく観る、見通すという意味。文明9年(1477)の頃には存在していたとされる寺。総本山は京都東山七条の智積院。真言宗智山派の寺に、成田山新勝寺・川崎大師・八王子高尾山薬王院・日野高幡不動尊などがあります。




     
●通用門     ●地蔵菩薩 六地蔵     ●平成14年に落慶された曼荼羅美術館



















●智積院再興400年記念・平成14年11月1日に建立された本坊・書院・会堂。 
















●ハスの葉とシオカラトンボ

    



















●水引き  ●仏足石
















●ふれあい文殊菩薩  ●薬師如来を祀る薬師堂

  



















●2100坪の境内にある美しい木々、灯籠



















●練馬区登録史跡・・観蔵院の筆子碑・・二体の筆子供養塔

家塾を開いていた権大僧都法印日傳(ごんのだいそうずほういんにちでん)が宝暦12年(1762)に没した際、師匠をしのんで、教え子たちが建立したものです。もう一つは文化5年(1808)の年号と筆子中という施主名が刻まれています。これは江戸時代、観蔵院で寺子屋が開かれ近隣の子どもたちの教育に寄与していた歴史の確認できる貴重な遺跡です。観蔵院が地域の文化の中心の場であったことを示す練馬区では最古の史跡でもあります。




















●本堂・・弘法大師1150年御遠忌記念、昭和60年4月2日に建立された。大聖不動明王を本尊とし祀る。

★桔梗紋・・智積院と同じ寺紋が使われています。この桔梗紋は加藤清正の家紋が由来とされています。豊臣秀吉の嫡男・豊臣鶴松(母は淀殿、幼名は棄丸・1589〜1591)はわずか三才でこの世を去り、嘆き悲しんだ秀吉は鶴松の菩提を弔うため家臣の清正に命じて、東山大仏殿となりに祥雲寺(臨済宗)を建てさせました。立派な寺が建てられた功績を称え、清正の家紋が寺紋となりました。祥雲寺は鶴松の法名「祥雲院殿玉厳麟公神童」によります。この祥雲寺は秀吉の死後、和歌山県・根来(ねごろ)寺の僧侶に与えられ、後に真言宗の智積院となりました。




















★美しい五色の幕や涼やかな僧侶の法衣が風にたなびきます。










































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