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東芝未来科学館  
2018.1  

神奈川県川崎市幸区堀川町72−34 ラゾーナ川崎東芝ビル2F(JR川崎駅西口徒歩1分)

■東芝の創業期(歴史)から現代までの最先端技術を紹介する科学館。実験を通じた科学技術教育や産業遺産の保存を目的とする。












★創業者・田中久重コーナー

田中久重(寛永11年・1799〜明治14年・1881、享年83才)は江戸後期から明治にかけての発明家。東芝の創業者。久重は福岡県久留米市のべっ甲飴細工の長男として生まれる。幼少期よりからくりに興味を抱く。20代で様々なからくり人形を考案。1824年・26才で京・大坂におもむき、文字書き人形・弓曳童子などからくり人形の興行をしておおいに人々を湧かせる。

●田中久重氏 ●段返り人形(木・糸・ばね使用) ●童子盃台(複製)












●弓曳童子1.(天保1838〜嘉永1853・複製)












●弓曳童子2.・・4本の矢のうち、わざと1本はずし観客を湧かせる  

●からくりほととぎす・・幕末〜明治初期に製作、羽やくちばしを動かしさえずる













●茶運び人形

  
★からくり人形の他、天保5年(1834)・・大坂船場に移り、折り畳み式の懐中燭台を考案。

★天保8年(1837)・・圧縮空気により灯油を吸い上げる無尽灯を開発。油を切れ目なく火に送る無尽灯は京・大坂で大ヒットとなる。






●太鼓時計(天保1838〜嘉永1853)複製 

天気に左右され、からくりの興行が行き詰まった久重は、伏見・京都時代に機功堂(からくりどう)を開店。この太鼓時計は定刻になると太鼓を打ち、上部の鳥が動き出し時を告げるという優れもの。

●万年時計(複製・・2005年愛知万博で展示)

万年自鳴鐘(万年時計は嘉永4年(1851)、久重53才の時の作品。本物は重文で上野の国立科学博物館に展示されています。上部が天球、側面は24節気などが組まれている。回転の方向が途中で変わる虫歯車やゼンマイなど1000を超える部品が組み込まれている。文字盤の間隔が全自動で動く万年時計。

















★この京都時代に様々な時計や客の要望に応え発明品を勢力的に開発。H28年1月27日NHK歴史秘話ヒストリアによると、この機功堂(からくりどう)は大盛況を極め、漬物石を楽に持ち上げる歯車を使った漬物石昇降機や、よく水が飛ぶ消火ポンプ・雲龍水も開発したという。

★嘉永6年(1853)・・ペリーの黒船来航。同年、久重は九州・佐賀に移り、蒸気機関車や蒸気船の模型を造り、蒸気機関車や蒸気船の開発・製造に尽力する。


◇東芝の祖となる 

田中久重は明治6年(1873)東京に移り、明治8年(1873)銀座に電気や電信機(電話機)の田中製造所をオープン。明治14年(1881)1月11日、享年83才で没する。養子の2代目久重が芝浦に移転。東京電気株式会社と合併し、東京芝浦電気(東芝)を設立。

●マツダランプ(タングステンランプ)・・1909年、アメリカオハイオ州で創られた、白熱電球のブランド。東芝系列の東京電気株式会社がライセンスを受け、明治44年(1911)に商号使用される。























◇草創期の家電

●日本初の電気洗濯機・・昭和5年(1930) ●洗濯機 VQ−3・・昭和32年(1957)

●冷蔵庫 QR−820・・昭和32年(1957)
















●日本初の白黒テレビ 73A形・・昭和28年(1953)



●日本初のカラーテレビ 昭和35年(1960)






●カラーテレビ 16WR・・昭和39年(1964)、当時の価格は17万5千円。東京オリンピックの年に開発された。

冷蔵庫・洗濯機・テレビは三種の神器(じんぎ)と呼ばれ、茶の間に普及された。








●日本初の自動式電気釜・・昭和30年(1955) ●やぐら式こたつ・・昭和30年代

●ヘリカルスキャン方式統ー1型VTR・・昭和46年(1971)












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