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北町奉行所跡(東京都指定旧跡)・・丸の内トラストシティ

216.2 東京都千代田区丸の内1−8−1(東京駅八重洲北口)

■隣接の鉄鋼ビルに用事がありウロウロしていたら、トラストシティ歴史散策マップの案内板を発見。丸の内トラストタワーは2008年に竣工。八重洲北口の外堀通りに並ぶビルです。かつてこの場所に北町奉行所がありました。






























★1.江戸城外堀の石垣再現・・トラストタワー本館の外通路

北町奉行所の東方には、寛永13年(1636)に築かれた江戸城外堀がありました。現在この地域の外堀は、常盤橋門跡や日本橋川の護岸の一部などに石垣が残りますが、東京駅周辺は昭和30年代には埋め立てられ、今は外堀通りや交差点の名前などに名残りを留めている程度です。ここに再現した石積みは、かつて存在した外堀をイメージしたもので、その一部には鍛冶橋門(東京駅八重洲南口)周辺で発見された堀石垣を使用し、ほぼ当時の形で積み直しています。























石垣石の表面には、築かれた当時の石を割った矢穴(やあな)が見られます。












★2.玉川上水をイメージした親水空間・・江戸城外堀石垣の向かい

玉川上水は、江戸の初期・1653年に多摩西部の現・羽村市から新宿区・四ツ谷までの43km間に開通した飲料用の上水道施設です。玉川兄弟が幕府の命を受け取り組んだことから上水の名前が玉川となっています。玉川上水や江戸城外堀といったかつて水との関わりが大きかった本敷地内に、上水の石組みをイメージした水空間が現代風にアレンジされ、再現されています。



























★3.北町奉行所跡(丸の内1丁目)の石組み溝・・トラストタワーN館東側歩道に復元された石組み溝と解説板が設置されています。


この地域は、江戸時代には呉服橋門内と呼ばれ、文化3年(1806)から幕末まで北町奉行所が置かれていました。現在の呉服橋交差点の南西、東京駅日本橋口周辺にあたります。町奉行は寺社奉行・勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつで、今の有楽町駅前にあった南町奉行所と、ここ北町奉行所の二か所に分かれていて交代で町人地の行政・司法・警察の職務を担っていました。名奉行として有名な遠山左衛門尉景元は、天保11年(1840)から同14年(1843)まで当所で執務をしていました。























平成12年からの発掘調査では、北町奉行所の上水道や井戸、屋敷境などの遺構が発見されました。ここに復元した石組みの溝は、ここから西方約30mの地点で発見された、屋敷北東角の道路との境をめぐる下水溝の一部です。この遺構は、本来3〜4段の石積みであったものと思われますが、発見されたときは最下段を残すのみでした。溝の角石が削り面取りされてあるのは、邪鬼が侵入する鬼門である艮(うしとら・丑寅)の方角を防護するための呪術的な意味を示すものとされています。大正11年(1918)4月、都旧跡に指定されています。

●復元された石組みの溝・・かつての下水溝













下水溝跡近くの水辺のアオキの実が美しい












●北町奉行所があったトラストタワー本館1階のシャングリア・ラホテル(手前に木賊・とくさ)と、同1階の本館エントランス












■東京駅ガラス張りの日本橋口・・トラストタワーN館(19F)のビルも向こうに見えます(真ん中の写真)















●東京駅内、びゅうプラザのひな飾り















「そうだ京都、行こう。」・・今年は京都御所の桜












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