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★北の丸公園・・田安門、清水門  
2017.8  東京都千代田区


■北の丸公園は、以前、代官町と呼ばれていたが、昭和42年(1967)、住居表示が実施され「千代田区北の丸公園」となった。

■旧江戸城・田安門・・北の丸北部に位置する枡形門。

太田道灌が長禄元年1457年、江戸城築城しました。その後の文明10年(1478)に、太田道灌が江戸城の乾(北西)、田安台(現、田安門内)に鎮守として社殿を造営し、田安大明神(現・築土神社)としました。現在の門内の辺りは、当初、田安台といわれていた百姓用地でした。田安門の名は、田安大明神に由来します。

●田安門・高麗門(重文)・・現在の門は高麗門の扉釣金具に残る刻銘から寛永13年(1636)に建てられたものと考えられる。
















●田安門・渡櫓門(重文)・・櫓門の上部は昭和36年から41年に修復された。   ●田安門・左手、牛ヶ淵のハス












■旧江戸城・清水門・・・中世にこの地にあった清水寺にその名を由来するといわれ、江戸時代には江戸城の一画にとりこまれ、北の丸への出入り口として利用されました。この門は、外枡形門という構造で、石垣と水濠で枡形(四角い広場)を造り高麗門と渡櫓門を配していました。

門の創建年代は、慶長12年(1607)に北の丸普請が行われているので、この時期だった可能性もあります。寛永元年(1624)に安芸広島藩主・浅野長晟(あさの ながあきら)によって修築され、明暦3年(1657)の大火で焼失したため、翌年の万治元年(1658)に再修築されています。田安門と共に、昭和36年(1961)6月7日付で国の重要文化財に指定されました。
門内の北の丸は、武家地として利用され、中期以降は御三卿のうち、田安家・清水家の屋敷と蔵地に利用されました。明治から昭和戦前までは近衛歩兵連隊の駐屯地となりました。

●清水門・高麗門(重文)     ●清水門・渡櫓門(重文)   













●雁木坂(かりきさか)・・櫓門を左手に曲がると雁木坂(かりきさか)があります。間の空いた階段の形が雁の行列を作って飛ぶ姿に似ているのでこの名前がついたとされています。江戸城の雁木坂は唯一残る貴重な遺構です。

●牛ヶ淵と清水門












●旧江戸城写真帖「清水見付」明治4年・1871撮影(東京国立博物館所蔵)・・現在の高麗門の風情と似ています  

●牛ヶ淵・清水門石垣・武道館













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