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旧因州(鳥取藩)池田屋敷表門(黒門)・・東京国立博物館  


2017.11  東京都台東区上野公園

●北斎とジャポニズム展・・西洋美術館   ●紅葉が進む上野公園























●噴水広場と、東京国立博物館


























■旧因州(鳥取藩)池田屋敷表門(黒門)・・重文、東京国立博物館所有

旧因州池田屋敷表門。旧丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門です。明治時代、当時の東宮御所正門として移されたのち、高松宮邸に引き継がれ、さらに昭和29年(1954)当館に移築されました。創建の時期は明らかでありませんが、形式・手法から見て江戸末期と考えられます。屋根は入母屋造左右に向唐破風(からはふ)屋根の番所を備え、大名屋敷表門では東京大学の赤門と並び称されるものです。

★美濃池田氏・・池田恒興は織田信長に仕え、信長亡き後は秀吉に仕え、美濃国大垣13万石の城主となりました。小牧・長久手の戦い(1584年)で豊臣方につき、嫡男(元助)と共に戦死しました。池田恒興の次男・輝政(1565〜1613)は敵対していた徳川家康に接近し、家康の娘婿となりました。以来破格の待遇をされるようになりました。慶長5年(1600)関ヶ原の戦功により、52万石の初代播磨姫路藩主となりました。

池田恒興の三男・長吉(輝政の弟)は6万石の鳥取藩主となりました。慶長8年(1603)、小早川秀秋(1577〜1602)が亡くなり改易となったため、池田輝政の五男・忠継(1599〜1615)がわずか5歳で、初代備前国岡山藩主(28万石)となりました。この時執務を行ったのは異母兄の池田利隆でした。池田家宗家は以来、明治4年(1871)まで岡山藩主として継がれて行きます。

池田利隆は慶長18年(1613)、第二代姫路藩主となりました。池田光政(池田利隆の嫡男)は元和3年(1617)、8歳で第三代姫路藩主になりましたが同年、32万石の鳥取藩主として転封となり、明治の初めまで存続しました。























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