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好文亭・・偕楽園内   
2018.3  茨城県水戸市

■偕楽園・・水戸藩第九代藩主 徳川斉昭(なりあき・烈公1800〜1860、徳川慶喜の父)が「民と偕(とも)に楽しむ」という趣旨に基づき自ら構想を練り創設したもので天保13年(1842)7月に竣工開園しました。

■偕楽園が2015年、日本遺産「近世日本の教育遺産群 ー学ぶ心・礼節の本源ー」に認定されました。

水戸市では、旧弘道館・日新塾跡・旧水戸彰考館跡が、他県では栃木県の足利学校・岡山県備前市の旧閑谷学校・大分県日田市の咸宜園跡が日本遺産に認定されています。































■好文亭

徳川斉昭がその位置や意匠について定めたとされ、偕楽園の創設と同時に建てられました。好文亭の名は梅の好文木に由来します。文人、家臣、領内の人々を集めて詩歌や慰安の会を催しました。昭和20年、空襲で焼失し、昭和30年から3年かけて修復されました。


















●二層三階建てと平屋の奥御殿の構造となっています

























●菊の間・・食事の支度をする部屋













●桃の間・・食事の支度をする部屋                          ●つつじの間













●松の間・・斉昭夫人がお城から好文亭においでの折、休憩した部屋













●紅葉の間・・斉昭夫人の付き人の詰め所  ●竹の間・・斉昭夫人の付き人の詰め所   ●梅の間・・明治の初め斉昭夫人が4年間住まわれた

























●萩の間・・斉昭夫人の付き人の詰め所   ●桜の間・・斉昭夫人の付き人の詰め所













●梅が咲く庭園     ●格子窓













●太鼓廊下













●1階の奥座敷から千波湖(せんばこ)、田鶴鳴(たづなき)梅林が見えます













●奥座敷の1階の広い板の間・・東塗縁、西塗縁













●1階の西塗縁に一列に並び、階段を昇る準備をします













●対古庵・・にじり口が見えます。茶会の客人の待合室。













●3階の楽寿楼・・黒の漆塗の丸窓(富士見窓)が特徴的













●楽寿楼から千波湖(せんばこ)、田鶴鳴(たづなき)梅林を望みます。風がビュービュー入ってきます。













●1階に降り、外に出ると茶室の待合、つくばい、灯籠があります
















●何陋庵(かろうあん)・・ にじり口が無く障子になっている茶室  ●露地門













●好文亭敷地の中門、大杉森












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