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林芙美子記念館   
2018.10  東京都新宿区中井2−20ー1




■新宿区立の記念館

西武新宿線・都営大江戸線、「中井」駅北西部の四の坂通りにあります。林芙美子(1904〜1951)は明治から昭和にかけて生き抜いた小説家。「放浪記」は映画化・舞台化されています。「うず潮」という作品も映画化されています。

山口県下関で生まれ、15才の時広島県尾道市立女学校に入学、大正11年(1922年)・19才で女学校を卒業し上京しました。昭和5年(1930)、新宿区落合に住み、様々な苦労を乗り越えやがて作家として認められるようになりました。昭和14年(1939)12月、広大なこの地を購入し、新居を足掛け2年がかりで建設しました。建築や資材の勉強をし、設計士や大工を連れて京都の民家を見学し、数寄屋建築も取り入れた施主の思いがぎっしり詰まったこだわりの家が完成しました。


















●格子戸門と竹、至る所に配置された石灯籠


















●入口  ●等身大の林芙美子 ●庭で穫れた柿・カリン・栗















●6DK?プラス書庫・アトリエ・石蔵(いしぐら)・・と広い間取り  ●土間・・入口


















■生活棟

●台所 ●風呂場 ●中庭・・大まかに分けると左が生活棟、右がアトリエ棟















●玄関と取次の間    ●小間・・芙美子の母、キクの部屋(右2枚)















●茶の間・・釣戸棚、二段押し入れ、収納式神棚、部屋南側の広縁(縁側)      ●客間・・原稿を取りに来た記者が控える間(右2枚)















■南庭

●ザクロ  ●飛び石  ●つくばい
















●四季折々の草花が植えられています  ●金魚のいる池・・水が透き通るようにきれいです















●つくばい ●植栽  ●庭から見た奥の生活棟、手前はアトリエ棟














■アトリエ棟












●寝室・・夫と芙美子と息子3人の寝室














●寝室奥の次の間・・その奥が書庫になっています    

●書斎(右3枚)・・元々は納戸でしたが半障子の向こうに庭が見えて独立した空間を思わせます。芙美子はこの書斎で急逝しました(1951.6.28、享年47才)。芙美子はこの家で亡くなるまで10年間すごしました。葬儀はこの家でとり行われました。葬儀委員長は川端康成でした。蒼蒼たるメンバーが弔問に訪れたことでしょう。















■アトリエ(展示室)・・元は、画家の夫、手塚緑敏(まさとし)のアトリエだった所。現在は林芙美子の資料展示が行われています。















■石蔵ギャラリー

庭の南西に、夫が芙美子の遺品保存のために建てた石蔵。写真をパネル展示しています。

芙美子が好きでよく色紙に書いていたことばは「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」でした。幼少のころから貧しく、苦労が多かった芙美子の半生を象徴していると思います。



●敷地裏手(北側)の、ホトトギス、石仏


















■敷地の裏手(北側)に登り、邸宅を見渡す














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