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◆◆新撰組・幕末の部屋

日野宿4.・・日野宿脇本陣跡(東京都指定史跡)

★新撰組ゆかり

★都内に残る唯一の本陣建築(日野市指定有形文化財)

2014.9 東京都日野市日野本町2−15−9

日野宿には日野本郷の名主を代々務めた2軒の上佐藤と下佐藤の家がありました。正徳6年(1716)にはそれぞれ本陣と脇本陣が設置されました。本陣は公家・大名・旗本や幕府役人専用の宿所で、脇本陣は本陣に次ぐ補助的な役割を持っていました。

本陣・脇本陣の建物は嘉永2年(1849)の大火により消失、現在の建物は元治元年(1864)に再建されたもの。












●天然理心流佐藤道場跡碑

本屋敷の当主、佐藤彦五郎(下佐藤家の佐藤彦五郎は多摩地域の名主、指導者で新撰組のスポンサー、土方歳三の姉の夫)は長屋門(大正15年の大火で焼失)の一室を剣術の道場にしていました。土方歳三はここで剣術修行をし、後に新撰組を結成する近藤勇や沖田総司、井上源三郎らと交流することになりました。



























●土間・展示室     ●18畳の広間












広間には、だんだら模様の新撰組羽織があります























●北側の縁側 

●式台・・本陣としての格式が残る(大名出入りの玄関)


結核のため江戸で療養していた沖田総司は、日野から勝沼へ向かう新撰組隊士の見送りのため、ここに立ち寄った。沖田は体を心配する当主・佐藤彦五郎の前で、式台で四股を踏んで元気なところを見せたという記録がある。












●10畳・式台のある玄関の間・・歳三昼寝の部屋

「すなわち武すなわち文」の額は文武両道を表す。この家に嫁いだ土方歳三の姉のノブをもじって「ノブノブ
」にしたという説もある。歳三は、姉の家に来て、この部屋で昼寝をしたという。












●6畳・控えの間・・歳三の小姓が匿われていた部屋

明治2年(1869)、函館で戦死した土方歳三が生前、小姓の市村鉄之助(当時16才)に自分の刀と写真を佐藤家に届けるよう命じる。無事に遺品を届けた鉄之助は彦五郎によりは2年近く、この部屋でかくまわれる。後、鉄之助は病気で20才で亡くなったという。













●12.5畳・上段の間・・隣接していたもうひとつの上段の間は有山家(彦五郎4男の養子先)に移築












●南側縁側












●8畳・納戸、4畳の廊下、奥が式台のある玄関の間 ●4.5畳、佐藤夫婦の寝室・仏間 













●6畳・茶の間、天井はいろりのすすで黒くなっている。●ざぶとんにリメイクされた羽織












●南側の建物と南庭・・ちょうど150年前の建物ですが、とてもしっかりしています。












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